おじさんの恋

突然、胸というか、喉の奥の方が締め付けられたみたいになりました。 

いい映画を見た後のような鮮やかな景色のなかで、その人は、張り巡らされた無数の糸をほどくような微笑みを浮かべて、手に持った数冊の本を棚に戻していました。 

「大まかな概要を調べて資料を作っておいてください。まぁネットで検索すればすぐヒットするでしょうから。簡単でしょ?これくらいはできますよね?」 

先日の人事で配属になった社長の甥に命じられたのですが、この件に関して、丁度大学時代に同じような事例があった事を思い出し、当時の新聞を閲覧しようと図書館に来ました。 
昼前の館内は適度に涼しく、娘と同年代とおぼしき若者が数人ほど窓際のテーブルに見えるだけでとても静かでした。ホールの絨毯と古本が混じったみたいな独特のにおいを何か懐かしく感じながら、ぼんやり何を探すでもなく、ゆっくり本棚の間を歩いていました。 
題名も著者も聴いた事のない幾万もの本が整然と並んでいることに、ただ漠然と感嘆しているなかで、唐突にその人は僕の視界に飛び込んできたのでした。 

テーブルについて目的の新聞に目を通しながらも、カウンターに座って何か書きながら本を重ねていくその人を盗み見ていました。春から大学生になった娘よりも少し年長くらいでしょうか、派手ではないけどどこかに気品を備えた顔立ちのその人を。 

その日、1冊だけ本を借りました。 

「へぇ~。まぁ、こんなのネットで調べればすぐだったでしょ?わざわざ当時の新聞なんか調べなくても。まぁいいや、こういう感じで資料まとめといてください。こういうのだけは得意そうなんで。」 

いつもの事ですが、今まではいちいち嫌味なこの若造に腹を立てておりましたが、今日はなぜかあまり腹が立ちませんでした。 
デスクに戻り、案件に関する概要を再度ネットで調べ、次の資料の作成に取りかかりました。一息つこうと喫煙所に行き、スーツの内ポケットに入れた貸出しカードを手に取ってぼんやりと眺めました。 

今日もまた、初めてその人を見た日と同じテーブルに新聞を広げて時折その人を盗み見ながら思いました。 
長くて少しくせのある髪を片側の肩にまとめ、時折空の向こうを眺めては意志の強そうな口許を結ぶ仕草をみせるその人に、やはり恋心としか言いようのない想いを抱きながら、 
自分はその人に対して何をしたいのだろうか、と。 
この歳になって恋などといっては笑われてしまうかもしれないけど、確かに自分は恋をしたんだなと思いました。この図書館に来てからたった2回、1冊ずつ本を借りただけで、会話と言う会話を交わすことだってできないのに。 

ただ、わかっているのは、自分はその人に何かしたいとかそういうのではない、ということでした。 ただ、その人を遠くから眺めているだけでドキドキする。ただ、その人のことを眺めていたい。 やっぱり本当に、ただ、それだけなのでした。 

今日も1冊だけ本を借り、貸出しカードをスーツの胸ポケットに入れました。 

その夜、その人と自転車を2人乗りしてゆるい坂道を滑り降りる夢を見ました。 
2人共、若い頃に戻っていました。 

「ねぇ、これ何の本? ・・・ドストエフスキー?なにこれ恋愛もの?」 
「あぁ、悪ぃ、仕事で。今日返さなくちゃだ。かして。」 

今、玄関で靴を履きながら、そういえばこんな事が前にもあったな、と思っていました。ずいぶん昔…、中学生の頃だったか、と、大学生の時でした。 

きっと今日も逢える そして、 
今日はどんな自分になれるだろうか、 
とワクワクしてした時が。 

「今夜アタシ友達と逢う約束あるから夕ご飯どっかですませてきて。」 
「あ、そう。わかった。あ、日曜は出掛けるからな。」 
「わかってるわよ。いってらっしゃい。」 

「あ、資料見ましたよ。まぁまぁかなぁ。まぁ、あんだけ時間かけてコレかよ、ってのはありますけどね。細かくて丁寧かもしんないけど、もっとサクッとやってもらわないと。オレが上司だから許されてるようなもんすよ。」 

「はい、わかりました。気をつけます。」 

その人が近くにいるような気がしました。 
いつもなら心の中でこの若造に対して不満を叫ぶのですが、なんだか今日は自分を誇らしく思えました。それどころか、なぜか目の前の若造を愛おしく思いました。そして、目一杯思いやれるような気さえしました。 

胸に手を当てるとその人が笑ってくれました。 

僕は、 
その人のおかげで自分をちゃんと見れるようになりました。 
その人が誇りに思ってくれるように快活でありたいと思います。 
そしてその人が快活であるようにって祈っています。 
いつでも背広の胸ポケットの中ではその亡き妻が笑っているんです。 

ある日から、僕はスーツの胸ポケットに妻の写真を入れるようになりました。 
大学の図書館で初めて出逢った、いつまでも若い妻の写真です。 

今度の日曜日は、娘と二人で妻の墓参りに行きます。


星の旅行券

90歳になった僕の日課は、可愛い曾孫達と毎日散歩する事。 
小さい手に引かれて、一緒に花と話をしたり、空に浮かぶ雲で工作をしたり、風や木々の伴奏に歌をのせたりしながらゆっくりと散歩をする事が、今ではもはや使命と言えるほどになっている。 

ある夏の日の夜は星を見に行った。 
息子(長男)の娘(孫)家族が泊まりに来ていたので、7歳と5歳の曾孫達と家の裏手にある丘を散歩がてら登ってみた。 
天の川がうっすらと見えるか見えないかくらいで流れている。 
草の上に腰をかけて、3人でその場限りの星座を作ってはそれにまつわる神話を作って遊んだ。 
「あの星とあの星をつなぐとちょうど人のように見えるじゃろ?」 
「うん。横向いて立ってるみたーい。」 
「その横の星とそのまた横を繋ぐと一本の線ができる。」 
「じゃあくっつけるとなに座になるのー?」 
「オチアイじゃ。この場合オチアイ座とは言わん。オチアイじゃ。」 
「なにそれへんなのー。やだー。ぜってーやだー。」 
「立っておるのに座をつけるのはおかしい。もう少し大きくなったらきっとこの意味が分かる。 ん?ちょうどオチアイに天の川がかかっておるなぁ。やっぱりオチマイにしよう。この場合…」 
もはや、兄弟は我に耳を傾けず、独自の手法で星を編んでいた。 

これでいい。 

と、上の子が 
「やい、ひぃじぃじ、どうしたら星へ行けるのですか?」 
と尋ねてきた。 
「星に行くにはチケットが必要じゃ。」 
「それ欲しい。ちょーだい。」 
「やんねーよ。今のところひぃじぃじしか持っとらん。星の旅行券はひぃじぃじが一生懸命働いてやっと買ったんだもの。お前達にもひぃばぁばさんにもじぃじにもママにもパパにもやんねー。」 
「ひぃじぃじはケチだ!ケチケチアメリカンだ!」 
2人が飛びかかってきたので 
「なんじゃと?ええい、あべこべに返り討ちにしてくれるわ!」 
手を拡げて威嚇するとキャッキャと3人で帰路についた。 

正月になると、毎年、僕の子供達や孫達や曾孫達がこぞって我が家に集まってくる。普段から一緒に暮らしている子もたまにしか会えない子もみんなで賑やかに正月を過ごす。

夕食をとり、早めに横になった僕のすぐ横に妻(ひぃばぁば)と息子夫婦と娘夫婦が座り、孫達や曾孫達は思い思いにくつろいでいる。 
と、息子の娘(孫)が 
「じぃじ、宇宙旅行チケット買ったんだって?」 
と聞いてきた。 
「お?2人に聞いたのか?」 
「いくら安くなったって言ってもあんな高いもの。それに自分の身体の事考えて買ってよね、まったく。」 
みんなそうだそうだと口を揃えていたが、妻と息子と娘は静かに笑っていた。 

寝ている僕を囲むように皆が集まってきた。 
曾孫達が口々に 
「明日はどこに連れてってくれる?」 
とか 
「この間は雲が喧嘩してたのに今日は仲直りしてた」 
とか 
「今日作った歌を聴いて」 
と、風の唄を歌ったりしてくれた。 

僕は孫や曾孫達を集め、息子に天井の屋根を開けてくれと頼んだ。 
ドーム型の屋根が開くとガラス張りの天井の上に満天の冬の夜空が広がった。と、曾孫の一人が 
「今日はどんな星座を作るの?」 
と聞いてきた。僕は 
「ひぃじぃじはいっぱい自分の星座をつくったから、これからはお前達がひぃじぃじの知らない星座をいっぱいつくるんだよ。」 
と言う。そして、 

「さぁ、ちょっと宇宙を散歩してくるよ。上を見てごらん。」 

みんなが空を見上げると 

ひとすじの流れ星 

妻は「この人は最期まで役者だったわねぇ」と笑う。 
息子と娘もくすくすと笑っている。 

孫達は一瞬呆然とするけど、しばらくすると顔を見合わせて微笑む。 
曾孫達は僕の身体にまとわりついたまま星を眺めている。 

と、息子の娘(孫)が、慌てたように僕の布団を剥いで僕の手首を持ち上げた。 

「あ~!やっぱり!」 

僕の手の平に握られた1枚の紙切れには 

  星のチケット  中山典重 様 
   ※ご本人のみ、悔いのない人生を送られた方のみ有効 

と、こ汚く手書きで書かれていた。 

60年後、こんなふうになれたらなぁ、って思います。笑


残業中のひと休み

ツアーから帰って来たら、当然のように仕事が溜まってるYO!! 
ふんぬ~。もぅこんな時間だし。。。 
明日迄に仕上げるデザインのレイアウトがまとまらなくて眠くなって来たので、しばし休憩がてら日記を書きます。 

てゆうか、先程、息抜きにジュースを買いに外へ出た時のことです。 

小生、久しぶりにお金を拾いました。 

10円。 

職場近くのマンホールの上に落っこちてました。 
発見してから拾うまでの行動の中に、1mmの躊躇もありませんでした。(その間約2秒) 
でも、拾った瞬間、ふと思いました。 

…ん?最近、サイフを拾って警察に届けたという話を聞いたな。 

ちょっとまてよ、と、その10円をマンホールの上に戻しました。 

よく考えたら、mixiでした。 
マイミクの中で2人の人(「ウー」&「ぶーさー」)が「サイフを拾って警察に届けた」っていう日記を書いてて、良い話だなぁって思ってたんだった。 

僕は一瞬躊躇しましたが、まぁ、やっぱり拾いました。 

「これはサイフではない。10円だ! ジウエンダマダ!!」 

でも、一度戻すと不思議なものでまた戻してみたくなりました。 

面白そうなので、また戻しました。 

そして、自動販売機に向かいました。 
歩きながら、 
「もしこれでサイフの中に10円玉が1枚しかなくて困ったら、敢えてあのジウエンは拾わない。でも、細かいのがいっぱいあって、ジウエンなんていらねー、と思ったら拾おう!」 
と固く心に誓いました。 

自販機の前に立ち、サイフを広げてみました。 

ジウエンもパクウェンもいっぱい入ってました☆(自慢) 

そして、お茶を買って颯爽とひるがえし、 
「いざっ、我、ジウエンを拾はむ!!」 
と鼻息も荒く、眼光鋭く、肩をいからせてズカズカとマンホールの元に近づいて行きました。 

…マンホールの上にちょこんと腹這いになっているジウエン。 
…少し照れた少年のように佇んでいるジウエン。 
…そして、頼もし気に堂々とジウエンを乗せているマンホール。 

と、、、 

そこで僕はハッと気がついたんです! 
僕の足下で仲良く瞳を輝かせるマンホールとジウエン! 

「あぁ!そうかぁ…。オマエ達、親子だったのかぁ(ポッ)」 

マン:(ハィッ!ウチの子ですねん!よぅでけた息子ですねん!) 
ジウ:(ボク達、ココで、お月見をしてるんだよ☆) 
ノリ:「そうかぁ~!ん?将来はお父さんみたいな立派なマンホールになるの?」 
ジウ:(ウンッ!ボク、今は小さいけど、きっと大きくなって、お父さんみたいな立派なマンホールになるんだ☆) 
マン:(オゥオゥ!よう言うた!父ちゃんみたい強うなってみぃ!ガッハッハ!!) 
ジウ:(ウンッ☆みんなを守る優しいマンホールになるのが僕の夢だもの!) 
ノリ:「あぁ~、そうでしたか。おっと、時間だ。では、私は仕事に戻りますね。今日は良い月夜だ。ゆっくりお月見を愉しむといい。でわ。」 
マン:(オゥ?ヨゥヨゥ、ニィちゃん、ちょぉ待ってぇな!) 
ノリ:「はい?…何か?」 
マン:(ウチの息子、連れてってくれるのと違いますのんか?) 
ノリ:「…あ。…いぇいぇ、先程は失礼いたしました。まさか、お2人が親子だったなんて思いもよらずに…」 
ジウ:(ボク、お兄ちゃんにだったら、拾ってもらいたい…) 
マン:(……。) 
ノリ:「ごめんごめん。でも、せっかくの親子水入らずのお月見だろ?」 
ジウ:(ボク…、ボク…) 
マン:(……。) 
ノリ:「さっきは2回も拾って戻したりして、ホントに悪かった…。どうか、僕はマンさんとジウ君にずっと仲の良い親子でいて欲しいんだよ。」 
ジウ:(……。) 
マン:(…ニィちゃん。) 
ノリ:「……。」 
マン:(…いや、…ノリさん。) 
ノリ:「……。」 
マン:(…どうしても、連れて行ってもらえんのですか?) 
ノリ:「……。」 
マン:(…こういう歌をご存知ですか?「…秋が来て 別れの時を知る…」) 
ノリ:「……。(…んぐっ。)、……存じております。」 
ジウ:(…お兄ちゃん。…僕たちは、月夜の晩に旅立つの。) 
マン:(…わてらにとってのお月見は、…別れの儀式でも…ありますのんや…。) 
ノリ:「…でもっ、…でもっ!」 
マン:(さっきあんさんに拾われかけた時にもぅ、…わてらの覚悟は決まっとったんじゃきに。) 
ジウ:「こんな素敵な月夜だもの!…ねぇ?…父さん☆) 
マン:(おぅともよ!ささ、早よぅ仕度せぃ!) 
ノリ:「(…ぐすんっ!…んぐっ!)」 
ジウ:(ウンッ☆さぁ、いこぅ!僕の夢への第1歩だよ☆(…キラッ。涙)) 
ノリ:「(涙を拭う)…よぉ~し!じゃぁ、一緒に行くか?」 
ジウ:(ハイッ☆お父さん、僕、行ってくる!!) 
マン:(オゥッ!また会おう!息子よ!!) 
ノリ:「さぁ、次なるステージへっ!マンさん、ジウの事は任せて下さい!」 
マン:(おおきに!頼んまっさかい!) 
ジウ:(お父上!どうかご達者で!いざっ!) 
マン:(ドラを鳴らせぇ~ぃ!法螺を吹けぇ~ぃ!出立じゃぁ~っ!!) 
ノリ:「いってきますっ!!わぁぁぁあああ!!!!」 

——パシッ!——- 

さぁ、残業だ!よぉ~し、頑張るぞぉ!! 

職場の窓から見上げた月は 
  もうすぐで満月になりそうな弓張月 

次第に丸く満月になって行くことから、 ますます幸運に恵まれることに例えられる月が… 

…やさしく微笑んでいます 

そして…、 

僕の財布の中では…、 

何の変哲も無い新参者の10円玉が、 
少し緊張した面持ちで 未来への希望で胸を膨らませているのです。 

                  (第1部 完) 
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というわけで、10円拾いました~w